『月寒(つきさっぷ)の少年』という歌をご存じですか?

『月寒(つきさっぷ)の少年』
という歌をご存じですか?

 『月寒の少年』は、『好きですサッポロ』をはじめ数々のヒット歌謡曲を生み出した作詞家 星野哲郎 (ほしの・てつろう)さんが、車窓から見た月寒の風景に感動して作られた歌で、まだ牧草地が広がっていた頃の月寒の情景が歌われています。昭和35年(1960年)10月、船村徹 (ふなむら・とおる) さんの作曲、コロムビア少年合唱隊の歌唱で『貝がら小径』のB面の曲として発表されましたが、その後は月寒の地でさえ歌い継がれることはありませんでした。

 「昔、『月寒の少年』と『月寒 (つきさっぷ) 乙女』という素敵な歌があった」…平成6年(1994年)5月、月寒地区町内会連合会(町連)女性部と月寒地区交通安全母の会の合同総会の折、一人の女性が発した言葉によって、この楽曲の運命が変わることになります。 当時の町連会長が、いわゆる「まちおこし」のシンボルとして『月寒の少年』にしぼり、彼らによる「幻のレコード探し」が始まりました。

 このことが地元紙に報じられると、小樽市に住む「ご当地ソング」を愛するレコード収集家が名乗り出られました。 収集家のもとを訪ね、所蔵するレコード音源を聴いた町連関係者たちは「古さを感じないので、皆さんに好かれそうだし、口ずさんでもらえそう」と喜んだということです。

 『月寒の少年』を大切に守りそして歌い継いでいこうと、平成7年(1995年)6月に市民団体「『月寒の少年』市民会議」が発足。愛唱の輪を広げ、人と心の和を図るとともに、地域文化の向上発展に寄与することを目的に活動しており、以降、叙情歌であるこの歌は月寒で愛されていきます。発足後、星野さんと船村さんは名誉顧問に就任されました。

 現在『月寒の少年』は、月寒小学校屋上の塔屋にある「愛の鐘」という装置から一日2回、朝と夕方に流されています。同校130周年記念誌によると、市民会議の方々と話し合い、平成8年から流されるようになったとのこと。夕方は午後5時(冬季は同4時)、 朝については音量が小さいのか、隣接の月寒公園でも聞こえないようです。また、月寒地区青少年育成委員会が主催して毎年秋に開催されている「親子ふれあいコンサート」でも合唱曲として披露されています。

 昭和54年(1979年) 7月10日に発刊された『限定版  遠歌・縁歌・援歌  星野哲郎作品集』に、数ある同氏の作品の中からこの歌が選ばれ、歌詞及び楽譜が掲載されていることを考えると、星野さんにとって、とても大切な作品の一つなのではないでしょうか。星野さんは、遠い日の感情を込めたこの 『月寒の少年』を「遠歌」の一つとしています。

 平成8年(1996年)11月15日、星野さんは市民会議の招きで「『月寒の少年』の集い」に出席するため月寒を訪れています。この集いに先立って月寒小学校も訪問、同校で流れた歌を聞き終えた際のインタビューで、星野さんご本人が次のように語られています。

作詞家 星野哲郎さん
「いやぁ、もうじ〜んとしますね。自分自身が若返る、35年前ですものね。35年、とても経ったとも思えないし。その当時の秋の暮れにね、36号のちょうど両脇が紅葉しかかったところで、『これが一晩のうちに、こういうふうに色が変わるんですよ』って話を運転手さんに聞きながら、それを一所懸命にメモしたことを、いま、2番の歌詞で思い出しましたね。凄いですよね。こんなに凄い昔の歌が蘇ってきて、皆さんにこうやって大事にされて、しかも学校のね、100年の伝統のある小学校のチャイムで毎日これが流れてくるなんていうのは、およそ想像も付かなかった。そんなにね、自分のものが大切にされているっていうのは、本当に胸いっぱいですね、感動しました。このまま大事にしていただきたいですね。私もやっぱり、居なくなるのは間近ですから、21世紀にも間もなくなりますんでね。『あの人が来たな』とか、『あいつ、まだここで生きてるなぁ』って、という感じにしていただければ、私は…」

 「集い」が終わり、司会者からマイクを向けられた星野さんは感激のあまり、600人近い聴衆の前で「皆さん、ありがとうございます」の一言を語るのが精いっぱいだったとのこと。退場した後、「あれ以上話すと泣いてしまいそうだった。この商売を始めてこんなに感動したことはない。また来ます、今度は船村先生と一緒に…」と力強く約束をして、会場の月寒公民館を後にされたということです。

 しかし、残念ながらその後、星野さんが「月寒」の地を踏まれることはありませんでした。

 星野さんは14年後の同日、平成22年(2010年)11月15日、東京都内の病院において心不全のため85歳で亡くなられました。

『月寒の少年』の歌詞及びレコード・ジャケットについて

『月寒の少年』の歌詞及び
レコード・ジャケットについて

 著作権及び著作隣接権の関係で、当ウェブサイトでは掲載しておりません。ご興味のある方は、月寒まちづくりセンターお問い合わせください。なお、音源及びレコード・ジャケットの資料につきまして、北島治夫氏並びに藤田善正氏(ウェブサイト「ボーイ・ソプラノの館」運営者)に御協力をいただきました。

歌詞の変更について

 『月寒の少年』の1番の歌詞、発表時「麦笛さみし」となっている部分は、その後、星野さんの希望で月 寒の人が歌う場合は「麦笛涼し」に改めて歌うことになっています。

参考文献

 『「月寒の少年」よ再び −星野哲郎と船村徹の感動−』好川之範(よしかわ・ゆきのり)著(さっぽろ文庫第81巻「歌の中の札幌」)