月寒は、かつて軍のまちでした。
軍都として歩み始めたこのまちは、豊平町の行政の中心として発展し栄えます。
旧豊平村にあった町役場は月寒の連隊本部近くに移転し、付近には軍へ商品を納めるため商店街も形成されました。
以降、月寒は豊平町の行政の中心として発展していき、行政・商業の中心地として栄えます。
月
寒
の
歴
史
「今」の月寒をつくったのは、こんな「歴史」の数々…
暮らしを支えつづける、月寒中央商店街
昔
地下鉄月寒中央駅から札幌に向かう国道36号線と並ぶ月寒中央商店街。かつては周辺に歩兵第25連隊将校集会所や旧豊平町役場などがあり、東1条線は昔からたくさんの人で賑わっており、活発な商いの場となっていました。
今
昭和40年代に入り月寒に道内初上陸の大型店舗の進出などにより地域の商業環境が活性化しました。昭和、平成を経て、令和の今も素敵なお店が暮らしを支えています。
ちょっと昔にタイムスリップ
商店街の小道を入ると、そこは昭和の風情たっぷりの酒場横丁。山田洋次監督が北海道放送(HBC)のTVドラマ「瓜二つ」(2002年)のロケで使用したことから、「洋次通り」と名付けられ、今なおファンに親しまれる根強い人気の場所です。
昭和の横丁「洋次通り」
月寒をよく知る年長者
国道36号から北側に進むと、歩道に一本の松があります。第25連隊駐屯地の正門前に2本植えられていましたが、1本は枯れてしまい、現在残っているのはこの1本のみ。この松は当時の兵士の出征や凱旋を見守り、今でも月寒の人々を見守っています。
営門の松
まちのみなさんを温かくみまもる
店内には至る所に椅子が置かれ「荷物を持ったままだとお客さんが疲れちゃうでしょ。」と店主は笑顔で語る。昔からまちのみなさんを温かくみまもる「アサヒ薬局」。病気や怪我の相談にも対応し、ここに無い商品でも取り寄せてくれるまちの強い味方。
アサヒ薬局
あんぱんは、1日5個まで?
連隊は、月寒と平岸を結ぶ「アンパン道路」の開削など、まちづくりにも関与します。町役場が月寒に移転した当時、月寒と平岸を直接結ぶ道路がなく、平岸の人々は役場に来るのが大変不便でした。役場への連絡道整備の要望を受けて、歩兵第25連隊の協力により、全長2.6キロになる道路が1911年に完成します。この工事中に、兵士の士気を高めようと、毎日あんぱん5個を支給したことから、造られた道路は親しみを込めて「アンパン道路」と呼ばれるようになりました。
「アンパン道路」の由来となった月寒あんぱん
軍隊、ギャンブル、
そして最後は…体育館 !
第2次世界大戦後、月寒の軍施設は多くが学校などの公共施設に転用されました。連隊の練兵場跡にできたのが、道営札幌競輪場です。1950年から道営競輪が開催され人気を集めましたが、公営ギャンブル反対の声が高まり、1960年で廃止されました。その後、豊平町は1961年に札幌市と合併。競輪場跡地には「月寒運動広場」が整備され、冬場はスケートリンクを造って、たくさんの市民が楽しみました。1971年には月寒屋内スケート競技場が完成し、翌年の1972年札幌冬季五輪のアイスホッケー競技会場として使われました。
1972年札幌冬季五輪で使用
月寒の歴史をもっと詳しく
月寒の歴史
月寒は、かつて軍のまちでした。
軍都として歩み始めたこのまちは、豊平町の行政の中心として発展し栄えます。
旧豊平村にあった町役場は月寒の連隊本部近くに移転し、付近には軍へ商品を納めるため商店街も形成されました。以降、月寒は豊平町の行政の中心として発展していき、行政・商業の中心地として栄えます。
「今」の月寒をつくったのは、
こんな「歴史」の数々…
暮らしを支えつづける、
月寒中央商店街
昔 地下鉄月寒中央駅から札幌に向かう国道36号線と並ぶ月寒中央商店街。かつては周辺に歩兵第25連隊将校集会所や旧豊平町役場などがあり、東1条線は昔からたくさんの人で賑わっており、活発な商いの場となっていました。
今 昭和40年代に入り月寒に道内初上陸の大型店舗の進出などにより地域の商業環境が活性化しました。昭和、平成を経て、令和の今も素敵なお店が暮らしを支えています。
ちょっと昔にタイムスリップ
昭和の横丁「洋次通り」
商店街の小道を入ると、そこは昭和の風情たっぷりの酒場横丁。山田洋次監督がHBC放送のTVドラマ「瓜二つ」(2002年)のロケで使用したことから、「洋次通り」と名付けられ親しまれ、今なおファンに根強い人気の場所です。
月寒をよく知る年長者
営門の松
国道36号から北側に進むと、歩道に一本の松があります。第25連隊駐屯地の正門前に2本植えられていましたが、1本は枯れてしまい、現在残っているのはこの1本のみ。この松は当時の兵士の出征や凱旋を見守り、今でも月寒の人々を見守っています。
まちのみなさんを温かくみまもる
アサヒ薬局
店内には至る所に椅子が置かれ「荷物を持ったままだとお客さんが疲れちゃうでしょ。」と店主は笑顔で語る。昔からまちのみなさんを温かくみまもる「アサヒ薬局」。病気や怪我の相談にも対応し、ここに無い商品でも取り寄せてくれるまちの強い味方。
あんぱんは、1日5個まで?
「アンパン道路」の由来となった月寒あんぱん
連隊は、月寒と平岸を結ぶ「アンパン道路」の開削など、まちづくりにも関与します。町役場が月寒に移転した当時、月寒と平岸を直接結ぶ道路がなく、平岸の人々は役場に来るのが大変不便でした。役場への連絡道の整備の要望を受けて、歩兵第25連隊の協力により、全長2.6キロになる道路が1911年に完成します。この工事中に、兵士の士気を高めようと、毎日あんぱん5個を支給したことから、造られた道路は親しみを込めて「アンパン道路」と呼ばれるようになりました。
軍隊、ギャンブル、
そして最後は…体育館 !
1972年札幌冬季五輪で使用
第2次世界大戦後、月寒の軍施設は多くが学校などの公共施設に転用されました。連隊の練兵場跡にできたのが、道営札幌競輪場です。1950年から道営競輪が開催され人気を集めましたが、公営ギャンブル反対の声が高まり、1960年で廃止されました。その後、豊平町は1961年に札幌市と合併。競輪場跡地には「月寒運動広場」が整備され、冬場はスケートリンクを造って、たくさんの市民が楽しみました。1971年には月寒屋内スケート競技場が完成し、翌年の1972年札幌冬季五輪のアイスホッケー競技会場として使われました。
月寒の歴史をもっと詳しく